ブラックミュージックの歴史(ヒップホップ誕生前)
ブラックミュージックの歴史1
ヒップホップ誕生前
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その場合は「YouTubeで見る」をクリックすると再生出来ます。
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またこのページは動画が多い為に、iPhoneをお使いでSafariでページを開いた場合は「ページを開けません」となり、ページが閉じてしまう場合がありますので、iPhoneをお使いの場合はGoogle Chromeでページを開いてください。
但し、iPhoneの場合はGoogle Chromeでもダイレクトに再生出来ない動画が多々あります。
Androidの場合は端末のメーカーや機種によるのかもしれませんが、自身が所有するAndroidのスマホとタブレットでは、全動画をダイレクトに再生出来ます。
このサイトではR&B/ヒップホップを中心にブラックミュージックの歴史をご紹介します。
R&Bを上手く歌う為には、例えばブルージーな歌い方、ジャジーな歌い方、ゴスペル風の歌い方、サザンソウル風の歌い方、ノーザンソウル風の歌い方、ファンキーな歌い方、ニュー・ソウル風の歌い方、ヒップホップソウル風の歌い方、ネオ・ソウル風の歌い方、そして今流行りのトラップ・ソウル風の歌い方、オルタナティブR&B風の歌い方など、R&Bの歴史を勉強し、伝統的な歌唱法をマスターする事で、本物のR&Bシンガーに近づきます。
ヒップホップもオールドスクール風のフロウ、ニュースクール風のフロウ、Gファンク風のフロウ、ハードコアヒップホップ風のフロウ、ダーティ・サウス風のフロウ、クランク風のフロウ、そして今流行りのトラップ風のフロウ、カントリー・ラップ風のフロウなど、ヒップホップの歴史を勉強する事は非常に大切です。
R&Bの本場ニューヨークと言う人が多いですが、ニューヨークで誕生したのは、ヒップホップとニュージャックスウィング、ヒップホップソウルだけです。ジャズも含めればビバップジャズ、ハード・バップジャズなどはニューヨークで誕生しました。
各ジャンルが誕生したアメリカの都市を書いていますので、下のアメリカの地図を参考にしてください。
本文では各州が、北部か南部かという事を書いていますが、19世紀(1861年から1865年)の南北戦争で、奴隷制を廃止しようとした北軍に属していた州が「北部」、奴隷制を続けようとした南軍に属していた州が「南部」と今でも呼ばれています。
南北戦争は、主に奴隷制の可否をめぐった、白人同士の戦争でしたが、北軍には黒人部隊も存在していました。
結果は北軍の勝利で、奴隷制は廃止されましたが、南部ではキング牧師の公民権運動が1965年に成功を収めるまで、根強く黒人差別が残っていました。
黒人霊歌
ゴスペルのルーツの黒人霊歌ですが、その黒人霊歌のルーツは、奴隷制のあった南部のサウス・カロライナ州とジョージア州、フロリダ州にまたがるシー・アイランド(シー諸島)で誕生したリング・シャウトです。
リング・シャウトの動画は、奴隷時代から口承で歌い継がれてきた賛美スタイルです。また円(リング)を描く様なダンスも代々受け継がれてきました。
黒人霊歌は奴隷時代のブラックミュージックを知るのに大変に貴重な資料であると同時に、現在でも歌い継がれています。
動画はジョージア・シー・アイランド・シンガーズが、リング・シャウトを実演している1963年の動画です。
次の黒人霊歌の音源は、南部のジョージア州産まれで、黒人霊歌や南部の黒人の民謡を研究して、それをアメリカ国内、そして世界中に広めていたバーニス・ジョンソン・リーゴンの奴隷時代の歌い方を再現している音源です。この曲は有名な黒人霊歌のカバーで、1986年の音源です。
なぜブラックミュージック研究所が、当時のレコーディングが残っていない奴隷時代の歌い方に詳しいのか?と聞かれれば、ブラックミュージック研究所は、アメリカの学術的な口承で歌い継がれてきた奴隷時代の歌い方の膨大な音源資料を持っているからなのですが、それらの多くはYouTubeにアップされていませんので、YouTubeにある中で奴隷時代の歌い方に近い音源を選んでいます。
そして黒人霊歌を世界に広めたのはフィスク・ジュビリー・シンガーズです。
「黒人の発声法(R&B編)」にライブ動画を貼っています。
またリング・シャウトと黒人霊歌の音源の下の「黒人霊歌とジュビリーの違い」というブログ記事にも音源を貼っています。
ブログ記事では、奴隷時代の黒人霊歌とジュビリーの黒人霊歌の違いを音源を貼り解説しています。
話は戻り、フィスク・ジュビリー・シンガーズは、南部のテネシー州ナッシュビルのフィスク大学の、19世紀からの伝統を持つ合唱部です。
フィスク・ジュビリー・シンガーズは19世紀に、黒人も訓練をすれば白人の様に西洋のクラシック音楽が歌えるという事がコンセプトでした。よって後のゴスペルでもクワイア(聖歌隊)はクラシックの発声法を用いるという伝統が生まれました。
よって正確には古い順に、リング・シャウト、黒人霊歌、ジュビリーという順番が、ゴスペルのルーツになります。
しかしジュビリーは黒人が西洋のクラシックの声楽を学び、そして西洋のクラシックの歌唱法で黒人霊歌を歌ったという新しいジャンルでしたが、大まかには黒人霊歌の一種と考えて良いでしょう。
リング・シャウト、黒人霊歌、ジュビリーはキリスト教の宗教音楽です。
リング・シャウト
黒人霊歌
ワークソング、バラッド
ゴスペルのルーツがリング・シャウトと黒人霊歌なら、ブルースのルーツは奴隷時代の労働歌のワークソングと、バラッドという黒人の伝承歌ですが、解りやすく言えば、黒人の民謡、フォークソングにあたる音楽です。バラッドの全盛期は奴隷制廃止後の1880年から1920年でした。しかしバラッドはその全盛期の後もブルースマンなどによって歌い継がれていました。
ワークソング
バラッド
ブルース
R&B(リズム&ブルース)のルーツのブルースは南部のミシシッピの農園で誕生しました。週末になると農夫のブルースマン達が少し北にある、地方都市として都会である同じ南部のテネシー州メンフィンスのビール・ストリートの酒場で演奏をしました。
戦前ブルースはアコースティックギターを使い、カントリー・ブルースとも呼ばれています。
戦前ブルースで最も有名なロバート・ジョンソンは音源は残っていますが、動画どころか2枚の写真しか残っていません。
ロバート・ジョンソンはミシシッピ州産まれで、メンフィスで幼少期を過ごした、典型的なブルースマンでした。
戦前ブルースの動画は、南部のテキサス州産まれの盲目のブルースマン、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの1927年の動画です。ブラインド・ウィリー・ジョンソンは正確には、ブルースの音楽スタイルで、今で言うゴスペルを歌っていました。と言いますのは、まだゴスペルが誕生する前の曲だからです。動画の曲は。撮影の翌年の1928年にリリースされました。
テキサス州の一部は南部だったのですが、西部としても知られていますので、以下は南部を省略します。
その後ブルースはテキサス州でエレキギターを使ったモダン・ブルースが誕生しました。
モダン・ブルースの動画は、モダン・ブルースを作ったテキサス州生まれのT-ボーン・ウォーカーです。T-ボーン・ウォーカーは1940年代から活躍しました。動画は1947年の曲です。
1950年頃、多くの南部のブルースマン達は更に都会の北部のイリノイ州シカゴに移住した事で、シカゴ・ブルースが誕生しました。シカゴ・ブルースを代表するレーベル、チェス・レコードが創立されたのが1950年でした。
シカゴ・ブルースの動画は、シカゴ・ブルースの父と称される南部のミシシッピ州生まれのマディ・ウォーターズです。動画は1954年の曲です。
エレキ・ギターを使った、いわゆるシカゴ・ブルースを作ったのはマディ・ウォーターズです。
またマディ・ウォーターズが作ったシカゴ・ブルースのバンド形態は、ロックバンドのバンド形態のルーツになりました。
マディ・ウォーターズはチェスを代表するアーティストでもありました。
ブルースの本場はミシシッピですが、メンフィスに近い地域には綿畑しかありません。よってブルースの本場がメンフィスというのが一般的です。シカゴはシカゴ・ブルースの本場です。
一方でモダン・ブルースはブルースの本場メンフィスのビール・ストリートでB.B.キングを筆頭に更なる進化をしました。
B.B.キングはミシシッピ州産まれですが、B.B.はビール・ストリート・ブルース・ボーイの略である事からも、メンフィスを代表するブルースマンだという事が解ります。そしてブルースの王様です。
ブルースの王様の動画は、そのB.B.キングで、1969年にそのB.B.キングが、ロイ・ホーキンスの1951年の曲を斬新なアレンジでカバーしたバージョンのライブ動画です。この曲はB.B.キングの代表曲の一曲です。
もちろんロイ・ホーキンスの原曲も1951年の曲とは思えない斬新な曲です。
戦前ブルース
モダン・ブルース
シカゴ・ブルース
ブルースの王様
ジャズ
ジャズのルーツのラグタイムは19世紀にスコット・ジョプリンによって作られた音楽です。奴隷制が廃止になった後に西洋音楽を黒人音楽に取り入れた音楽でした。スコット・ジョプリンはテキサス州産まれです。音源は1902年の曲です。
ジャズは20世紀初頭に南部のルイジアナ州ニューオリンズで誕生しました。ジャズは元は黒人の音楽でラグタイムから発展し、R&B同様にブルースにもルーツがあります。
動画はニューオリンズ・ジャズを代表する、ニューオリンズ産まれのルイ・アームストロングです。動画は有名な黒人霊歌をルイ・アームストロングが、ニューオリンズ・ジャズのスタイルでカバーしたライブ動画です。ルイ・アームストロングはこの曲を演奏する事を好んでいました。そしてジャズのスタンダードとしても知られる様になりました。
ルイ・アームストロングは1920年代から、1971年に亡くなるまで第一線で活躍しました。
スウィング・ジャズはジャズですが、当時のR&Bチャートに入りました。
動画はスウィング・ジャズと言えばこの人のこの曲、ワシントンD.C.産まれで、北部のニューヨークのハーレムで活躍した、デューク・エリントンの有名曲です。この曲は1942年にビルボードのR&Bチャートの前身のハーレム・ヒット・パレードが出来る前の1941年の曲ですのでチャートには入っていません。
ジャズは、スウィング・ジャズの後にはチャーリー・パーカー等が作ったビバップ、ブルーノートが作ったハード・バップ、またマイルス・デイヴィスが作ったモード・ジャズ等がありますが、インスト主体でR&Bにはあまり関係のない音楽ですので省略します。
ジャイヴというジャンルは初期のR&Bで、ジャンプ・ブルースとも呼ばれます。しかし、ジャズマンによって作られたR&Bと言って良いですので、あえてこのジャズのジャンルに入れました。
動画はジャンプ・ブルースと言えば、この人この曲、南部のアーカンソー州産まれのルイ・ジョーダンによるジャイブです。動画は1944年の曲です。
ルイ・ジョーダンは1940年代に活躍したR&Bのパイオニアの一人です。
ラグタイム
ニューオリンズ・ジャズ
スウィング・ジャズ
ジャイヴ
ジャズボーカル
R&Bを歌う上で、ジャジャーに歌うという事になるとジャズ歌唱を知らなければいけません。
男性ではニューオリンズ・ジャズで動画を貼ったルイ・アームストロングと、ここで紹介するナット・キング・コールが有名です。
ナット・キング・コールと言えば、『ナット・キング・コール・ショー』というテレビのジャズ専門の音楽番組の司会も務めていましたので、ジャズシーンの顔でもありました。
またナット・キング・コールはジャズマンによるR&Bを真っ先に取り入れましたので、ジャズシンガーですが、R&Bシンガーでもありました。
ナット・キング・コールは南部のアラバマ州モンゴメリー産まれです。動画は1951年の曲です。
女性は女性ジャズ・ボーカル御三家で知られるエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイが有名です。
三人とも黒人シンガーです。
ビリー・ホリデイは北部のペンシルベニア州フィラデルフィア産まれで、北部のメリーランド州ボルチモア育ちです。動画は1946年の曲です。
メリーランド州は北部ですが、歴史的に定義が複雑な州です。
ビリー・ホリデイの歌唱法は、いかにもジャズというエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンの様な華やかな歌唱法とは違い、ブルージーで憂鬱な歌い方で異色の存在でしたが、後に登場するネオ・ソウルに多大な影響を与えました。
ナット・キング・コール
ビリー・ホリデイ
ゴスペル
ゴスペルは北部のイリノイ州シカゴで、元ブルースマンのトーマス・A・ドーシーによって1930年代に黒人霊歌、西洋の教会音楽、ブルースをルーツに作られた音楽です。トーマス・A・ドーシーは元はブルースマンでした。
トーマス・A・ドーシーのゴスペルを歌った事で有名なのは、ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンです。
マヘリアは南部のルイジアナ州ニューオリンズ産まれですが、ゴスペルの生誕地シカゴに移住しました。動画は1956年にマヘリアが、トーマス・A・ドーシー作曲の"Precious Lord, Take My Hand"をカバーしたバージョンでのライブ動画で、原曲は1938年にセラー・ジュビリー・シンガーズによって初めてレコーディングされました。
ゴスペルの王様、北部のイリノイ州シカゴ産まれのジェームス・クリーブランドは、幼少の頃にトーマスの指揮の元で歌い、ゴスペルを現在知られる形に仕上げ、このスタイルは現在でも黒人教会で歌われています。
動画は単純にゴスペルというタイトルで貼っています。動画は1975年の曲です。
ジェームス・クリーブランドは1950年代から、1991年に亡くなるまで第一線で活躍しました。
よってゴスペルの本場はシカゴです。またはフィスク・ジュビリー・シンガーズで有名なフィスク大学のあるナッシュビルが本場だという意見もあります。
日本では、マヘリア・ジャクソンやジェームス・クリーブランドのゴスペルが、いわゆるゴスペルとして知られていますが、ゴスペルは更に進化をし続けます。
1980年代に南部のノース・カロライナ州でゴスペルにファンクやR&Bの要素を加えた、コンテンポラリー・ゴスペルが、ゴスペルの王子様、ジョン・P・キーによって作られました。バックサウンドにはフュージョンが取り入れられ、ファンキーでカッコいいサウンドです。動画は1991年の曲です。
コンテンポラリー・ゴスペルは1968年の"Oh Happy Day"で知られる、ゴスペルにR&Bの要素を加えた、カリフォルニア州産まれのエドウィン・ホーキンスが作ったと意見が分かれますが、今で言うところのコンテンポラリー・ゴスペルのサウンドを確立したのはジョン・P・キーです。
カリフォルニア州は西部ですが、南北戦争の時は北部でした。地理的に少々分かりづらいですので、北部を省略しています。
むしろ今日の日本では映画で使われた、その"Oh Happy Day"こそが、最もよく知られているゴスペルの曲だと言えます。
よってエドウィン・ホーキンスがコンテンポラリー・ゴスペルを作り出し、ジョン・P・キーがコンテンポラリー・ゴスペルを完成させたという解釈が正しいのかもしれません。
そして、1990年代にはテキサス州でコンテンポラリー・ゴスペルにヒップホップと現代R&Bの要素を加えた、アーバン・コンテンポラリー・ゴスペルが、カーク・フランクリンによって作られました。文字数の関係でアーバンと略しています。動画は1996年の曲です。
カーク・フランクリンが現代R&Bの要素を加えたと書いたのは、ヒップホップ・ソウルを代表とするヒップホップ世代のR&Bを取り入れたという意味です。簡単に言えば、1990年代以降にデビューしたR&Bアーティストの曲は、たとえバラードでもヒップホップ世代のR&Bです。
殆どのR&Bシンガーは教会でゴスペル経験があるので、R&Bボーカルの歌唱法のルーツとしても有名です。
クワイアはクラシックの発声法を基礎にしていますが、黒人が歌うとファンキーです。それに対してソロは、いかにも黒人的な歌唱法でソウルフルだという事もゴスペルの特徴です。
ゴスペルも黒人霊歌同様にキリスト教の宗教音楽です。
マヘリア・ジャクソン
ゴスペル
コンテンポラリーゴスペル
アーバン
リズム&ブルース
リズム&ブルースというジャンル名は1949年に付けられました。
当初はスウィング・ジャズもチャートに入り、前出のジャンプ・ブルース、通称ジャイヴというジャンルが流行りました。
しかしジャイヴはどちらかと言えばジャズミュージシャン、ジャズシンガーによるリズム&ブルースでしたので、当サイトではジャズとして紹介しました。
現在のリズム&ブルースの元祖と言えば、このレイ・チャールズでしょう。レイ・チャールズは南部のジョージア州の産まれで、ブルース色の強いアーティストでした。デビューしたのは1949年でした。動画は1曲目は1959年の曲で、2曲目は1960年の曲です。
R&Bとソウルは同じ音楽ジャンルですが、正確には発祥は若干違ったのですが、ジャンル的には同じと考えて良いでしょう。
レイ・チャールズ
ドゥーワップ
ドゥーワップは1950年代から1960年代初頭に、主に北部の黒人のティーンの間で流行ったポップミュージックの原点の音楽です。
ドゥーワップグループには2種類あり、スウィングジャズのコーラスグループにルーツがあるグループと、ゴスペルカルテットにルーツがあるグループです。
男性ドゥーワップグループの動画は北部のニューヨークのハーレム出身のフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズで1956年の曲です。
女性ドゥーワップグループの動画は北部のニューヨーク出身のザ・ロネッツで1963年の曲です。
この二つのグループは、男女それぞれにアイドルグループの元祖としても知られています。
男性ドゥーワップグループ
女性ドゥーワップグループ
ソウルミュージックの誕生
1950年代
ドゥーワップブームと時期は重なりますが、ソウルミュージックが誕生しました。ソウルミュージックの登場でドゥーワップブームが終わったとも言えます。
"Stand By Me"で有名なベン・E・キングの様に、それまでドゥーワップを歌っていたシンガーがソウルを歌う様になりましたので、ドゥーワップがソウルミュージックに進化したと言っても間違いではありません。
元祖ソウルマンとして知られるサム・クックは産まれは南部のミシシッピ州ですが、育ちは北部のイリノイ州シカゴです。
しかしシカゴがソウルミュージックの本場とはならず、南部のサザン・ソウル、北部のノーザン・ソウルという様に、本場が南北に分かれます。もちろんシカゴにはブルースとロックンロール、ソウルの名門で、シカゴ・ソウルを代表するレーベルの、チェスがあるのですが、全体的にはブルースのレーベルでした。
動画はサム・クックのソウルシンガーとしての1957年のデビュー曲です。
ソウルシンガーになる前はゴスペルシンガーとして既に有名でした。
そしてシカゴのチェスの女性ブルース/ソウルシンガー、エタ・ジェイムズの1962年のソウルナンバーの動画です。
1950年代の曲ではありませんがシカゴ・ソウルの有名曲です。
エタ・ジェイムズがシングルデビューをしたのは1955年であり、女性ソウルシンガーのパイオニア的な存在です。
エタ・ジェイムズはカリフォルニア州ロサンゼルス産まれです。
実際にはこの時期に何人ものソウルシンガーの草分け的な存在がデビューしていて、みんなシカゴで活躍していたという訳ではありませんので、ソウルミュージックの発祥地がシカゴだという事には賛否両論があると思いますが、ソウルミュージックの誕生時に、シカゴで重要なソウルシンガーのパイオニア達が活躍していたという事は事実です。
サム・クック
エタ・ジェイムズ
1960年代のサザン・ソウル(スタックス/ヴォルト)
1960年代には南部のテネシー州メンフィスのスタックス/ヴォルトがサザン・ソウルというスタイルを確立しました。
正式名称は、スタックス・レコード、ヴォルト・レコードです。
知名度的にはライバルのモータウンには及びませんが、モータウンが黒人によって創立され白人に売る為だった音楽に対して、スタックスは白人によって創立され黒人に売る為の音楽で、通称ディープ・ソウルと呼ばれています。
ソウルの王様と言えばジェームス・ブラウンか、オーティス・レディングです。
オーティス・レディングは南部のジョージア州産まれです。動画は1965年の曲です。
そして誰もが認めるソウルの女王と言えばアレサ・フランクリンです。
アレサ・フランクリンは、正確にはメンフィスのスタックス/ヴォルトの発売元のアトランティック・レコードのシンガーでしたが、メンフィス・ソウルとして知られています。
アレサ・フランクリンは産まれはメンフィスですが、北部のミシガン州デトロイト育ちです。動画は1967年の曲です。
オーティス・レディング
アレサ・フランクリン
1960年代のノーザン・ソウル(モータウン)
同じ1960年代にノーザン・ソウルを代表するレーベルと言えば北部のミシガン州デトロイトのモータウンです。
その名はブラックミュージックファンなら知らない人はいないでしょう。
正式名称は、モータウン・レコードです。
モータウンはダイアナ・ロス&ザ・スプリームスに代表される様に、当初はドゥーワップ色の強いレーベルでした。
スプリームスはミシガン州デトロイト出身のグループです。動画は1965年の曲です。
スティーヴィー・ワンダーはドゥーワップっぽくはありませんが、ポップ色が強いアーティストです。
スティーヴィー・ワンダーはデトロイトではありませんがミシガン州産まれです。動画は1965年の曲です。
しかしその後マーヴィン・ゲイやグラディス・ナイトなどサザン・ソウルに負けないディープなソウルを歌うシンガーが活躍しました。
スプリームス
スティーヴィー・ワンダー
ファンク
ファンク自体は1960年代に誕生した音楽ですが、1970年代に黄金期を迎えます。
もちろんファンクと言えばジェームス・ブラウンです。ジェームス・ブラウンは南部のサウス・カロライナ州の産まれです。ジェームス・ブラウンはソウルの王様であり、ファンクの王様でもあります。動画は1970年の曲です。
しかしソウルと違い、ファンクはサンフランシスコのベイ・エリア・ファンクやニューオリンズ、オハイオなどアメリカ全土で、それぞれの地の特色のあるスタイルのファンクが誕生しました。
もちろんソウルもサザン・ソウル、ノーザン・ソウル以外にもアメリカ全土に広まったのですが、ザックリ言うと1980年代になるまでは、その2種類が有名でした。
そしてスーパー・ファンク集団のPファンクは北部のニュージャージー州のバンドです。動画は1975年の曲です。
ジェームス・ブラウン
Pファンク
ラップの誕生
一般的には、ラップは1970年代にニューヨークで誕生し、最初のラッパーは、北部のニューヨークのブロンクス産まれのコーク・ラ・ロックだと言われています。尚、ヒップホップではニューヨークは東海岸と呼びます。以下、ヒップホップの紹介では東海岸のニューヨークと記します。
そして初めてレコーディングされたラップの曲は、1979年のシュガーヒル・ギャングの"Rapper's Delight"という曲だという事が一般的です。尚、シュガーヒル・ギャングはニューヨークに近い北部のニュージャージー州出身のヒップホップグループですので、大まかには東海岸のグループです。
これはヒップホップのラップの曲という意味で、ファンク/ディスコバンドのファットバック・バンドが、同じ1979年にラップを大々的に取り入れたディスコ曲を、シュガーヒル・ギャングより先にリリースしています。
しかしラップは動画を観ても解る様に、1968年に北部のイリノイ州シカゴで誕生していたのです。
ラップはお喋りをするという意味ですので、音楽に合わせてお喋りをするという意味では、このページではジャズとして紹介しているジャイヴの時代からありましたが、今のラップからはかけ離れています。今のラップにつながるのはこの曲でしょう。
このピッグミート・マークハムという人はコメディアンですが、ブルースやファンクのシンガーでもありました。
ピッグミート・マークハムは南部のノース・カロライナ州産まれですが、この曲は1968年にシカゴのチェスからリリースされヒットしました。この曲はジャンル的にはファンクです。
ピッグミート・マークハム
ニュー・ソウル
1970年代のブラックミュージックで重要なのはダニー・ハサウェイに代表されるニュー・ソウルというジャンルです。
ファンク、ニュー・ソウルはその後のR&Bを大きく変えました。
ダニー・ハサウェイは北部のイリノイ州シカゴ産まれで、北部のミズーリ州セントルイス育ちです。音源は1972年の曲です。
ミズーリ州は北部ですが、州の一部は南部でしたので歴史的に定義が複雑な州です。以下は北部を省略します。
そしていち早くニュー・ソウルを取り入れたのは、南部のノース・カロライナ州産まれのロバータ・フラックでした。動画は1973年の曲です。
この二人は共演アルバムも出しています。
他にもニュー・ソウルを代表するアーティストと言えば、カーティス・メイフィールドや1970年代のマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーなどの名が挙げられます。
それまでのブルース色やゴスペル色の強く泥臭かったサザン・ソウルや、ドゥーワップ色やポップ色の強かったモータウンとは違い、ブルースやゴスペル、ファンクにルーツがありながらも、ジャズやクラシックの要素を加えたのがニュー・ソウルでした。ジャズと言ってもフュージョンの要素を取り入れたと言った方が正解かもしれません。
それまでのラブソングが主体だったソウルミュージックとは異なり、歌詞もラブソングもありながらも社会的な内容の歌詞や、詩的な歌詞であり、またソウルミュージックを芸術にしたという意味でも革命を起こしました。
ダニー・ハサウェイ
ロバータ・フラック
1970年代のサザン・ソウル(ハイ)
ニュー・ソウル登場後もスタックスは、1970年代ソウルを作っていたのですが1975年に倒産してしまいました。
それに代わる形で1970年代のサザン・ソウルを代表したレーベルは、同じくメンフィスのハイ・レコードでした。
ハイ・レコードを代表するアーティストのアル・グリーンの曲は明るいですが、ハイ・レコードはアン・ピーブルスの曲に代表される様に、ブルースの本場メンフィスらしく気怠いブルージーでディープなサウンドでした。
アル・グリーンはテネシー州の隣の南部のアーカンソー州産まれです。動画は1971年の曲です。
アン・ピーブルスはミズーリ州セントルイス産まれです。動画は1973年の曲です。
アル・グリーン
アン・ピーブルス
1970年代のノーザン・ソウル(モータウン)
サザン・ソウルはブルージーな方向に進みましたが、まともにニュー・ソウルの影響を受けたのはモータウンでした。
その中でもマーヴィン・ゲイとスティーヴィー・ワンダーが、1970年代にニュー・ソウルの作品をリリースしました。
マーヴィン・ゲイも動画の曲の様に反戦歌を歌い、社会的な歌詞でしたが、歌で戦争が終わる訳ではなく、失望しラブソングに戻りました。この事により、以降のR&B/ソウルミュージックは再びラブソングが殆どを占める様になりました。
動画で取り上げたマーヴィン・ゲイはワシントンD.C.産まれです。動画は1971年の曲です。
スティーヴィーは重複しますので、あえて個人的に好きなグラディス・ナイト&ザ・ピップスの曲を選びました。
ソウルの女王と言えば、アレサ・フランクリンですが、グラディス・ナイトがソウルの女王だと意見が分かれる程の名ソウルシンガーです。
グラディス・ナイトは南部のジョージア州アトランタ産まれです。動画は1972年の曲です。
注意すべき点は、モータウンはデトロイトを拠点としていたレーベルですが、1972年にロサンゼルスに拠点を移しましたので、一概にノーザン・ソウルとは呼べないのですが、サウンド的にはノーザン・ソウルでしょう。
マーヴィン・ゲイ
グラディス・ナイト
1970年代のノーザン・ソウル(フィリー・ソウル)
1970年代のソウルを語る上で欠かせないのは、北部のペンシルベニア州フィラデルフィアで誕生した、フィリー・ソウルです。
フィリー・ソウルを作ったのは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードです。
ザ・スリー・ディグリーズは本国アメリカはもちろん、日本でも絶大な人気がありました。動画の曲は日本語歌詞バージョンがレコーディングされた程でした。
ザ・スリー・ディグリーズはフィラデルフィア出身のグループです。動画は1973年の曲です。
テディ・ペンダーグラスは、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツというフィリー・ソウルを代表するグループの出身で、日本でも人気がありました。ドリフターズが動画の曲のベースラインを使いヒゲダンスのBGMにした程でした。
テディ・ペンダーグラスは南部のサウス・カロライナ州産まれです。動画は1979年の曲です。
フィリー・ソウルと言えば、バラードがゴージャスで美しく、ビリー・ポールやルー・ロウルズ、テディ・ペンダーグラスなどのソロシンガーも多くいましたが、比較的にグループが多かった為に、美しいハーモニーでも知られています。
またフィリー・ソウルはディスコ・ミュージックを生み出しましたので、ファンキーな名曲も沢山あります。
ディスコはフィラデルフィアで誕生しました。
スリー・ディグリーズ
テディ・ペンダーグラス
ディスコ・ミュージック
フィラデルフィアで生まれたディスコですが、その後、北部のニューヨークに拠点を移して、そしてアメリカ全土に広まり、更には全世界に広まりました。
文字数の関係でアースと略していますが、アース・ウィンド・アンド・ファイアーは動画の曲の様にディスコ・ミュージックのバンドとしても知られていますが、北部のイリノイ州シカゴのファンク・バンドです。動画は1978年の曲です。
一方、ディスコ・ミュージックを代表するバンド、シックは北部のニューヨークのバンドです。動画は1978年の曲です。
ディスコ・ミュージックのルーツはファンク、そしてフィリー・ソウルにあります。
アース
シック
Author:Naya Moro
ブラックミュージック研究所の所長
20歳で渡米し、R&B(リズム&ブルース)のブルースとサザン・ソウルの本場メンフィスで音楽と英語を学ぶ。
2000年から横田基地の黒人教会のゴスペルクワイアに加わり、同時期にバークリー卒の講師陣の横浜のジャズ学校、横浜コンテンポラリー音楽院の2年科の作編曲科を専攻。
クラブブームになる前の1990年代の初頭までは、日本でもR&Bのルーツはブルースだと誰もが知っていました。
しかし今では、R&Bのルーツはゴスペルだという人が圧倒的多数です。それが間違っているとは言いません。
このサイトで本当のブラックミュージックの歴史を知って頂けたらと思います。
ブラックミュージック研究所が主催する、オンライン音楽教室のTriple M music art Classでは、
Mo's "MOZ" MoことNaoya Moroの指導によって、このページで紹介しているブラックミュージックの歴史を基にした、
ボイトレ主体の、R&Bボーカルレッスン、ラップレッスンを受講して頂けます。
ビデオ通話でのオンラインレッスンですので全国どこでも受講可能です(プライベートレッスン)。
詳しくは「レッスン」のページをご覧ください。
Naoya Moroの歌とラップ、Naoya Moroが指導したシンガーとラッパーの歌とラップも聴けます。
またオンラインレッスンの参考資料動画も貼っていますので、ぜひご視聴ください。
オンラインレッスンのレッスン風景画像
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