黒人霊歌とジュビリーの違い

 奴隷時代から口承で歌い継がれてきた黒人霊歌と、19世紀に黒人霊歌を世界に広めたフィスク・ジュビリー・シンガーズの西洋的でクラシカルなジュビリーでは、同じ黒人霊歌でも大きく異なる歌い方です。

 その違いを解説をしていきましょう。

 この黒人霊歌の音源は、子供達に黒人の民謡や、黒人の童謡を伝え続けている事で有名な、エラ・ジェンキンスの奴隷時代の歌い方に近いバージョンです。

 この曲は有名な黒人霊歌の"Wade in the Water"のカバーで、1960年の音源です。

 エラ・ジェンキンスは北部のミズーリ州セントルイス産まれですが、北部のイリノイ州シカゴ育ちです。

 ミズーリ州は北部ですが、州の一部は南部でしたので歴史的に定義が複雑な州です。 

 このレコーディングに言える事は、黒人霊歌は奴隷時代にはリング・シャウトの動画を観て解る様に、モップなどを打楽器として使うという事はありましたが、主にアカペラで歌われていましたので、ギターやボンゴなどの楽器が入っていない形で歌われていたと考えてください。サウンド的には20世紀にカバーしたバージョンという感じですが、あえて取り上げたのは、前述の様に歌い方は奴隷時代に近いからです。そしてボーカルアレンジも奴隷時代に近いです。


黒人霊歌

 そして次の黒人霊歌(ジュビリー)の音源は、ジュビリーの本家のフィスク・ジュビリー・シンガーズです。この曲もやはり"Wade in the Water"カバーで、19世紀からの伝統を受け継いだ2003年の音源です。違いを聴き比べてみてください。

 黒人霊歌を世界に広めたフィスク・ジュビリー・シンガーズは南部のテネシー州ナッシュビルのフィスク大学の合唱部です。

 フィスク・ジュビリー・シンガーズは19世紀に、黒人も訓練をすれば白人の様に西洋のクラシック音楽が歌えるという事がコンセプトでした。よって後のゴスペルでもクワイア(聖歌隊)はクラシックの発声法を用いるという伝統が生まれました。

 テネシー州も南部ですので、かつては奴隷制がありましたが、フィスク・ジュビリー・シンガーズは奴隷制廃止後に結成されました。

 この様にフィスク・ジュビリー・シンガーズの声と歌い方は、後のゴスペルクワイアに多大な影響を与えましたが特殊ですので、黒人霊歌は奴隷時代には、リング・シャウトの動画や、黒人霊歌として紹介した音源の様な声と歌い方で歌われていたと考えられています。

 またフィスク・ジュビリー・シンガーズはジュビリーというジャンルを作り出しました。そしてアメリカの色々な地域から、様々なジュビリー・シンガーズが登場しました。

 よって正確には古い順に、リング・シャウト、黒人霊歌、ジュビリーという順番が、ゴスペルのルーツになります。

 しかしジュビリーは黒人が西洋のクラシックの声楽を学び、そして西洋のクラシックの歌唱法で黒人霊歌を歌ったという新しいジャンルでしたが、大まかには黒人霊歌の一種と考えて良いでしょう。


ジュビリー

ブラックミュージック研究所

ブラックミュージック研究家のNaoya Moroが運営する、主にブラックミュージックの歴史を研究するサイト。 黒人霊歌から、ブルース、ジャズ、ゴスペル、サザン・ソウル、ノーザン・ソウル、ファンク、ニュー・ソウル、ディスコ、ヒップホップ、ニュージャックスウィング、ヒップホップ・ソウル、ネオ・ソウル、クランク、クランク&B、トラップ、トラップ・ソウル、オルタナティブR&Bに至るまで研究をしています。

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